News--------------東日本ブロック
2022.12.26
創刊150周年スポーツ報知アーカイブ 「ボーイズリーグ むかし いま そしてこれから…」(2)
2022年1月19日付 「潮目を変えた関東ボーイズリーグ大会」
1970年、大阪で誕生したボーイズリーグ(公益財団法人日本少年野球連盟)は爆発的に広まった関西に比べ、先にリトルリーグが浸透していた関東以北では加盟チーム数が伸び悩んだ。しかし、1998年に初開催された大会が反転攻勢の起爆剤に。東日本のボーイズリーグの歴史を振り返りながら、その未来を関係者とともに考える。連載第2回は「潮目を変えた関東ボーイズリーグ大会」。
東日本のボーイズリーグで春の風物詩といえば、毎年小中200近い加盟チームが参加して行われる関東ボーイズリーグ大会。コロナ禍に見舞われた最近2年は見送られたが、開会式は1998年開催の第1回以来、メットライフドーム(埼玉・所沢市)で行われてきた。入場行進を終えた全出場チームがズラリと並んだ場内風景は圧巻。写真がリーグを紹介するパンフレットなどに使われ、イメージアップに役立てられた。
東北や信越地方のチームも出場するのに名前は“関東”ボーイズリーグ大会だ。その理由を開催に尽力した高浦健前東日本ブロック長(77)が説明した。「大会を企画していた頃は首都圏と群馬、山梨に小中合わせて50ほどしか加盟チームがなかったんです。東日本では(同じ硬式の)小学生はリトルリーグ、中学生はリトルシニアと比べて圧倒的に少なかった。そこで新年度を迎える春に毎年、関東の全加盟チームが出場する大きな大会を行い、地域やマスコミにアピールしようと考えました」。その狙いは中学生の部で的中した。
当時、中学硬式の各リーグがそれぞれ出場チームを推薦していたジャイアンツカップの出場権を懸けたこともあって大会は盛り上がり、新聞などに露出が増えてリーグの知名度が上がった。さらに2000年代に入って少子化や顧問のなり手不足などの問題から中学校の野球部が衰退。需要が高まったことで関東全域で硬式クラブチームの新設が相次ぎ、加盟申請が一気に増えた。
茨城では99年にひたちなか、栃木は00年にとちぎ21(現宇都宮中央)、東北は02年に仙台がそれぞれ初加盟。さらに各地でチームは増え続け、07年開催の第10回大会の出場チーム数は、中学生の部だけで110を超えていた。大会の成功が本部に評価され、2010年には「第40回春季全国大会」が東京を中心に首都圏で初開催。連盟設立以来、関西以外の地で全国大会が開催されたのはこれが初めてだった。
この頃から東日本勢はチーム数だけでなく“強さ”も増していた。連盟設立から09年までの40年間は、春夏合わせて79回を数える全国大会で東日本勢の優勝は小中計8度。しかし、10年以降は昨年まで春夏24回で小中計10度、優勝している。ここ数年は東日本ブロック所属チーム出身のNPBドラフト指名選手も増え、昨秋は楽天から吉野創士外野手(東京城南ボーイズ—昌平高)、ソフトバンクから風間球打投手(笛吹ボーイズ—明桜高)が1位指名を受けた。
ただ、すべてがうまくいっているわけでない。関東ボーイズリーグ大会で活性化したのは中学生の部に限られる。小学生の部は東日本ブロックに限らずここ20年、チーム数も部員も減少傾向が続いている。次回は小学生の部の現状と取り組みをレポートする。